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Vie sauvage 放浪の親子/パコとツァリィとオケサ

フランス映画 (2014)

ダヴィッド・ガストゥ(David Gastou)とソフィアンヌ・ヌヴー(Sofiane Neveu)が、父親に「誘拐」される9歳のツァリィ(Tsali)と8歳のオケサ(Okyesa)を演じる社会派のドラマ。「誘拐」といっても、犯罪映画ではないのは、少年たちが進んで父についていったため。この映画は実話に基いている。1997年の12月にサヴィエ・フォルタン(Xavier Fortin)が、息子のシャリ・ユナ(Shahi’Yena)とオクワリ(Okwari)を連れていなくなり、警察は誘拐として捜査。2009年1月31日にフランス南部のフォワ(Foix)の警察署で保護されるまで10年以上に渡って3人で暮らしていた。実は、映画では触れられていないが、その1年半前の1996年6月に、母親が、子供たちに普通の生活をさせようと、両親と共謀して父に無断で取り上げる事件を起こしている。裁判では父親に親権が認められたものの母は子供たちを返さず、それまで自然と動物に囲まれて育ってきた子供たちは、狭くて庭もないアパートに閉じ込められて苦しみ、長男は拒食症になる。それを救ったのが父だった。子供を救うためにやむなく起こした行動だったのだが、今度は逆に誘拐事件として警察に追われる身となる。最初は、普通に暮らしていたが、パトカーやヘリで捜索されるようになると、秘密裏に行動せざるを得なくなり、名前を変え、住む県を5回変え、場所も共同コミューンやヒッピー村から臨時のアパートまで点々と移す。そうした逃亡生活の中でも、子供たちにフランスの基本教育を父自ら教えているが、それは父がかつて通信教育局の教授だったからできたこと。子供たちは、母なる自然の中で動物を飼育しながら大人になるまで育ち、人目を忍び遊動の民のような生活を送ったにもかかわらず普通に成長した。父の逮捕後、子供たちは父が刑務所に行かないよう奔走し、母とは会ったものの、以後ほとんど接触していない。映画では、父親は「気難しくて自己中心的、かつ、無口で笑わない」(The Hollywood Reporter より引用)な性格に設定され、子供たちが大きくなると しばしば衝突する(特に兄と)。だから、母との再会時にその兄が強く父を庇う部分(実話に忠実)に違和感が残る。母は、身勝手で意固地な性格に描かれているが、これは実話をよく反映している。だから、彼女に感情移入することはできない。映画は、別離時の子供時代と再会時の青年時代に分かれ(俳優は2組のみ)、途中は省略されている。このサイトの目的にあわせ、少年時代を重点的に扱うが(前半の59分)、その多くが自然との対話に割かれている。せっかくなので、実話のフォルタン兄弟が蛇と一緒に撮った古写真を下に転載する。映画でも、蛇を前にして語り合うシーンがあるが、残念ながら蛇を手に持ってはいない。
  

父のパコと母のノラは、若い頃ヒッピー生活をし、「インディアン式のヒッピー村」で知り合い結婚した。そして、名前もインディアン風に変え、生まれた2人の子にもインディアン風の名前をつけた。事態の急減な変化は、2人の子供が9歳と8歳の時に起きる。ノラが、ヒッピーのような生活に嫌気がさし、子供を学校に入れようとして、パコのいなくなった隙に3人の子供(1人は、パコとの結婚以前からの連れ子)をトレーラーハウスから連れ出して汽車に乗せ、両親の家に逃げてしまったのだ。動揺したのは子供たちばかりではない、パコも激怒した。すぐにノラの実家に行き、門の前で大喧嘩となるが、息子たちと一緒に連れて行かれた地元の警察署では、裁判で判決が下るまでは母親に親権があると言われる(学校が休みの時には父と会える)。それから、およそ1年、ノラの実家から遠く離れた場所に居住していたパコは、ほとんど子供たちと会えずにいた。その時、裁判所から手紙が届く。どんな内容かは明らかにされないが、それを見て悲観したパコは、実力行使に出る。好きな動物のみを連れ、トレーラーハウスを牽いてノラの実家に行くと、1週間キャンプに行くと言って、子供2人を連れて出かける(母の連れ子は一緒に行くのを拒んだ)。そして、3人は、そのまま「行方不明」となる。最初の頃、パコはノラが何もしないと思い普通にキャンプ生活を送っていたが、不在時に警官が検問に来たことを知り、トレーラーハウスを捨て遠くの町へと逃げる。そこで友達に支えられて森で生活を始めるが、今度はヘリが捜索に加わったことを知り、名前を変えて山の中のコミューンに移り住む。そこから、3人の自然と一体化した生活が始まる。そして、10年近い時が流れ、長男は成人〔フランスは18歳〕が間近に迫る年頃になっている。コミューンとの折り合いが悪くなって引っ越した際、パコが約束を無視して動物を連れて来たことで長男は激怒、さらには、それがきっかけで愛人を失うに至り、逃亡生活に嫌気がさしたこともあって警察に連絡する。そして、パコの逮捕。しかし、ノラと2人の子供の再会は、感動的なものとはならなかった…。なお、台詞は、フランス語字幕による。

ダヴィッド・ガストゥ、ソフィアンヌ・ヌヴーとも、映画出演はこの作品のみ。メイキングを見ていると、ダヴィッドはすごくおとなしく、ソフィアンヌは活発。映画でも、個性がそのまま反映されている。


あらすじ

父パコが車で出かけようとしている。長男のトマが、「僕らも一緒に行っていい?」と訊くが、「ダメだ。半時間で戻る」と言って一人で車に乗り込む。その様子を、トレーラーハウスの中から母ノラが窺っている。子供たち3人は、道がぬかるんでいるので、父の車を押している(1枚目の写真、矢印は泥についた車のわだち、画像が汚いのは窓ガラスの汚れ)。この「泥の中の生活」はノラにとって耐え難いものの1つとなっている。車が出て行くと、ノラはすぐさま、子供たちの名前を呼ぶ。そして、こっそり用意してあった荷物を3つ取り出すとトレーラーハウスから降ろし、一番に来たトマに、「急いで。ほらこれ持って」と1つ渡す(2枚目の写真)。そして、子供を連れて走り始める。トマ:「どうなってんの? どこ行くの? なぜ、出てくの?」。ノラは答えない。息が切れているせいもある。4人は野原を突っ切り、車が頻繁に走る道路の脇を歩く(3枚目の写真、荷物を持ったトマは最後尾で映っていない)。すると、そこには1台の車が待っていた。ノラの友達のジュリアだ〔パコはいつ出かけるか分からないし、子供を連れていくかもしれない。なのに、どうやって待ち合わせたのだろう? せめて、ノラが携帯で電話する場面でもあれば納得がいくのだが…〕。ノラ:「汽車は何時?」。ジュリア:「17時」。ノラは子供を車に乗せようとするが、トマだけは乗ろうとしない。「なぜ、出てくの?」。「おじいちゃんの家に行くの」。「パコは?」。「後から来るわ」。「嘘だ」。反対するトマを、汽車に乗り遅れるからと、無理矢理 車に乗せる。
  
  
  

その会話を聴いていたためか、車が駅に着くや否や、今度は次男のツァリィが逃げ出す(1枚目の写真)。向かった先は、パコの両親の家。時間がないのでノラは車で家に向かう。家に着くと、ノラはチャイムを押し、ドアを強くノックし、「ツァリィ!」と呼ぶ。ツァリィが顔を見せると、「よくもやったわね! 乗り遅れるじゃない」と腕を引っ張る。「行かない」。「来なさい!」。「嫌だ!」。「怒らせるつもり〔Tu vas pas t'y mettre〕?」(2枚目の写真)。祖母が、「どこに行くの?」 と訊くが、「何て子なの!」とツァリィを引っぱたく。祖母:「おやめ! 何てことするの?」。「口出ししないで!」。「どこに行くか、言いなさい!」。「関係ないでしょ!」。そう言って、勝手に家に入って行く。ノラは、ツァリィに「汽車に乗らないと」と迫る。「嫌だ、行きたくない」。祖母はドアを閉めて鍵をかける。「なぜドアを閉めたの? 鍵をちょうだい」。「嫌よ」。「開けて!」。「行き先を言いなさい」。「開けなさい!!」〔勝手に侵入して失礼な言い方だが、そのくらい切羽詰まっている〕。ツァリィは2階に逃げて、部屋に閉じ籠もる。ノラは、ドアはドアをドンドン叩いて開けるよう命じる。祖母:「止めないと、警察を呼ぶわよ」。「勝手にすれば〔Je m'en fous〕! あたしの子なんだから、好きなようにする!」(3枚目の写真、かなり美少年)。そして、ドアに体をぶつけ、「お願い開けて、ツァリィ!」と泣きわめく。ツァリィは仕方なくドアを開ける。ノラはぶったことを詫び、手を引いて1階に行くと、窓から押し出して道路に出る。ノラの強引さがよく分かる場面。
  
  
  

この時点で、汽車の発車まで5分。車で駅まで駆けつけ、プラットホームに入った時には発車のベルが鳴っている。5人は電車に向かって線路を渡る(1枚目の写真、矢印)〔随分、危険な構造だ~すぐに対向列車が入ってくる〕。車両はカラフルに塗装されたB82500型。かなりカッコいい〔私は、鉄道ファンではないが…〕。5人はギリギリ間に合い、助けてくれたジュリアがホームに残る。向かいのホームに電車が着いたことから、単線運行なのかも知れない。車内では、ノラと末っ子のオケサが一緒に座り、向かいにトマとツァリィが座る。トマが普通のフランス人の名前なのは、ノラ(本名カロール)と先夫の子だから。ツァリィとオケサは、ノラがパコ(本名フィリップ)と結婚して産まれた子供。2人のヒッピー風の暮らしに合わせ、インディアン風の名前を付けられた。オケサはノラに甘えるように抱きつくと、「ママ、僕たちいつまで別々なの?」と尋ねる(2枚目の写真)。「永遠によ〔Pour toujours〕」。この言葉に、トマとツァリィは厳しい目でノラを見る(3枚目の写真)。
  
  
  

場面は、いきなりノラの実家に変わる。祖母は、「何で汚いの」と言い、3人は洗面台の前で、上半身を脱がされる(1枚目の写真、3人とも髪の毛が伸び放題)。祖母は、トマから髪を短く切っていく。次は、1人だけ巻き毛のオケサ(2枚目の写真)。最後のツァリィでは電気バリカンが使われている(3枚目の写真)。3人の髪が長かったのは、パコがヒッピー風に長髪だからだ。
  
  
  

ノラたちが、親戚一同を交えて食事を取っている。全員が、パコのライフスタイルにはうんざりし、逃げてきたノラを賞賛している。その時、門のベルが鳴り、「ノラ! ツァリィ、オケサ、トマ!」と呼ぶ声が聞こえる。パコがやって来たのだ〔ノラは、どこに行くか、パコの母には言わなかったが、乗った汽車から行き先を推測したのだろう〕。祖父の行動が一番過激だ。「まさか」と言うと、すぐに「警察に電話を」と妻に命じる。立て続けにベルが鳴る。門まで出て行ったのは父。「ここに来るんじゃない。いいな」。「会いたい」。「二度と会いたくないそうだ」。「なぜ、こんなことを?」。「子供たちを守るためだ。兎の親子のようにな」〔狼から守るという言外の意味〕。押し入ろうとするパコを力ずくで撥ねつけ、「今後は、司法が決める」と宣言する。「息子たちは?」。「会ってもいい。止めることはできんからな。だが、変なことはするな。いいな?」(1枚目の写真)。パコは、「ツァリィ、オケサ!」と呼ぶ。家の中からは、2人が「パパ!」と叫ぶ。パコは門を押し入ろうとする。「中に入れば、ロクなことにならんぞ!」。パコは、「ノラ、なんでこんなことをする!?」と叫ぶ。ノラが家か出て来ると、パコは急に態度を変え、「戻ってくれ。何でもする。仕事をやめ家に専念する。お前を大事にする。何でも、言う通りにする。お願いだ」とすがるように頼む。しかし、ノラは首を振る。「なぜだ?」。「終わったの〔C'est fini〕」(2枚目の写真)〔理由を何も言わないのはキツい〕。父は門をしっかり閉め、ノラを庇うように家に入って行く。万策尽きたパコは、「ツァリィ、オケサ、トマ、お前たちは俺の子供だ! 来い!」と叫ぶ。「俺はお前たちの父ちゃんだ!」。家の中では、子供たちが外に出ようとし、みんなで止めようするが、全員が脱出に成功。パコと3人は門の前で抱き合う。そして、歩いて離れようとするが、前方からパトカーがやってくるのが聞こえ、足を止める(3枚目の写真)。
  
  
  

パコとノラと3人の子供たちは警察に連れて行かれる。まずパコが警官に状況を説明する。一家で放浪生活を送ってきたこと。1年前にノラが家を欲しいと言い出したこと。そこで、ノラが「もう我慢できなかった〔J'en pouvais plus〕」と口をはさむ。ここからは、2人の言い合いになる。「泥の中を歩くなんて、何て惨めなの」「子供たちはお腹を空かしてた」。パコは、トレーラーハウスの中は25℃と快適で、自分の父は医者で子供たちの栄養は足りていると反論。ノラは本音を出す。「子供たちを学校に行かせたい」。「ホームスクールが学校だ」。「そんなことしてたら、将来はないじゃない」。言い合いは中傷合戦になっていく。ノラは、家族をセクト、パコをそのグル〔オウム真理教を思い出す〕と言い、パコは、ノラが父親と連帯して自分を中傷し、父親が家の土地も買ったと罵る。言い争いは、廊下で待たされている3人のところまで響いてくる(1枚目の写真)。口論がひどくなったので、警官が止めに入る。そして、ここは法廷ではなく警察だと言った後で、①「法的判断が下されるまでは、子供たちは、ここレ・ザドレ(Les Adrets)で母親と暮らす」と付け加える〔レ・ザドレはクルノーブルの北東30キロにある冬のリゾート~撮影場所は、そんな場所には見えない〕。パコはすぐさま、「どうして? 彼女が出て行ったんだ。子供を連れていく権利はない」と反論する(2枚目の写真)。しかし、警官は、②「法的判断が下されるまでは、母親に親権〔garde〕がある」と言う。そして、パコが何と言おうと、「それが法律だ」の一点張り。【コメント: 警官の発言①と②だが、①は監護権(どこに住むか)にあたる。そして、②の親権の部分は絶対に間違っている。共同親権(両親に平等に親権がある)がEUの原則だからだ。しかも、映画のシチュエーションでは、ノラはパコに無断で子供たちを連れ出している。これは、「一方の親が他方の親に無断で子供を連れ去る行為」に該当しかねない。もしそうなら、「親権行使の侵害」という犯罪とみなされる。そのような疑いのあるノラに監護権を一方的に与える①の発言も納得できない。①が正しいかもしれない唯一の可能性は、裁判は子供が通常居住する地で行われる点。パコは放浪生活をしているため「通常居住する地」がない。その点、ノラの子供はレ・ザドレの祖父の家にいる。拡大解釈すれば、それが母に監護権のある理由になるかもしれないが、それならそうと警官は言うべきである。恐らく、脚本はそこまで考えていない。冒頭に書いたように、実話では、(a)まず母親が拉致して親権を剥奪されるが、子供を返さない。(b)そこで父親が拉致する。この(a)の部分が映画ではカットされているため、(b)にいくための「理由」が必要となる。そこで、無理にノラに監護権を与えたのであろう】。警官は、子供たちの前に行くと、「これから君達はここでママと祖父母と暮らす。だが、心配しなくていい。パパとは学校のない日に会える」と説明する〔パコに、判決が下りるまで ずっとレ・ザドレにいろとでもいうのか?〕。トマが、「なぜ僕たちで決められないの?」と質問すると、「君達はまだ小さい。大きくなってから決めればいい」と言われる(3枚目の写真)。
  
  
  

パコは、壁に貼られた息子からの手紙や絵をじっと見ている。あれから、かなりの歳月が流れたことが分かる。パコは裁判所からの通告〔内容不明〕を見た後、机に向かって手紙を書き始める(1枚目の写真)。この時点では、パコが何と書いたか不明だが、後で、手紙の内容が独白の形で流れるので、先取りして紹介しよう。「判事様。私が息子達と別れて暮らし始めてほぼ1年が経ちます。数日の週末を除き、彼らとの接触は許されていません。父親であるにもかかわらず、私の権利は否定されました。私の希望を無視し、彼女が立派な母親になるに違いないと言う予断に基づく馴れ合い的。かつ、盲目的な司法判断の結果、息子達はかつての暮らしから切り離され苦しんでいます。私にはもう他に選択肢がありません。息子の親権を取り戻したいという強い信念をどうか認めて下さい。フィリップ・フルニエ」〔判決の内容が分からないので、訳が間違っている可能性あり〕。何と、あれから1年が経過していたのだ! 次のシーンでは、パコが、ノラが出て行くまでずっと暮らしていた場所で、自分の飼っていた動物をある程度売却し、そのお金で馬を運搬できる車両を購入し、白いペンキを塗っている。塗り終わると、その車両に大事な馬1頭と残りの小動物を入れ、トレーラーハウスを牽引してレ・ザドレに向けて出発する(2枚目の写真)。次のシーンは、ノラの父の家。ノラが、「1週間 過ごしていいわ。5日までに連れ戻して。6日には学校がある」と注文をつける。そして、1年も母と一緒にいたトマは、義父のパコと行くのを拒否する。パコは、自分の息子2人を連れて家を出て行く。戻って来るつもりはない(3枚目の写真、左端は見送るノラ)。
  
  
  

あれから何日経ったかは分からないが、パコは、キャンプをはった場所で、ツァリィとオケサに書き取りをさせている。なかなかできないのでパコは発音をくり返す。パコの肩にはリスザルが乗り、2人の子供の向こうには牛の頭が見える(1枚目の写真、矢印2つ)。それが終わると、今度は、ツァリィの左耳たぶに穴を開け、そこに金のイヤリングをはめる(2枚目の写真)。痛かったが、鏡で見せられると満足する。兄が終わると次は弟。オケサも同じようにイヤリングをはめられる。「これで、3人とも同じだ」と言われ、2人とも嬉しそうだ(3枚目の写真、分かりにくいのでイヤリングを矢印で示す)。
  
  
  

さらに、また何日かして、オケサが山羊の乳を絞ろうとしていると、車の音が聞こえる(1枚目の写真)。それは警察車両だった。オケサは急いでトレーラーハウスに入ると、中で寝ていたツァリィを起こす。ツァリィは警察から見えない側の小窓を開け、オケサと一緒に逃げ出す(2枚目の写真)。そして、車の陰から離れないように近くの森に行って様子を窺う。バンから降りて来たのは2人の警官だ。ツァリィが「パパはどこだ?」と小声で訊く。「農場にいる」。兄弟は、森の奥に入って行く。裸足で道のないところを走ったため、ツァリィがつまずいて捻挫し歩けなくなる。かなりしてから、パコが森の中に子供たちを捜しにくる。オケサがパコに走って行き、兄のところに案内する。パコは、薬草のようなものを小川で洗い、ツァリィの捻挫した足首に貼る。ツァリィは、「警官、いなくなったかな?」と訊く(3枚目の写真)。「多分な」。「これからどうするの?」。「暗くなるまで待つ」。3人はその場に座ったまま、夕方になるまで待ち続ける。パコはツァリィを背負い、トレーラーハウスとは離れた場所から森を出て、近くの農家に行く。そこで、子供に服を着せてもらい、お金を恵んでもらう。恐らく電話も借りたのであろう、暗い中を3人が道路まで走って行くと(ツァリィは背負われたまま)、そこには1台の車が待っていた。そして、車は走り去る。ここで不可解なのは、①パコは、悠然と暮らしていたが、警察に捜査されることを知らなかったのだろうか? ②全財産であるトレーラーハウスとその中味、大事にしていた馬や動物のすべてを見捨てたのはなぜか? の2点〔②について、夜、車で逃げ出すことも可能だったのではないか?〕
  
  
  

翌日、もしくは、数日後、パコと2人の子供は列車に乗ってモンペリエのターミナルに着く。南仏の人口27万の都市だ。乗客が一斉に降り始める。パコは、オケサに、「スーツケースを持った女性の後について行け」と命じる(1枚目の写真)。2人の子供を連れていると、警察に目をつけられる可能性があるので、別行動に出たのだ。しばらくして、パコがツァリィと一緒に歩き出す。ツァリィは、まだびっこをひいている(2枚目の写真)。確かに、ホームには2名の警官が立って監視していた〔後で示される各種の新聞記事には、子供たちの写真は出ているが、パコの写真は出ていない。警察も、パコの写真は持っていなかった可能性は高い。だから、子供たちを分けたことは効果的だった。ただし、パコの長く伸びた髪は疑いの対象になるハズだが、見咎められずに済む〕。パコはそこに住む友人ジュヌヴィエーヴと会う〔どんな人物か何の説明もないが、ツァリィが最初逃げ込んだのは「パコの両親の家」。そして、そこにいた「祖母」とは違う人物。配役表にも名前しか載っていないので、「パコが母のよう慕う古くからの知人」なのだろう〕。この女性との会話で、警察に見つかるまでパコがいたのがジェール県〔トゥールーズの西、モンペリエの西約250キロ〕だということが分かる。女性からは、町中に写真〔子供たちの〕が出回っているから、ウチには泊めてあげられないと断られる(3枚目の写真)。パコは、ノラの執念深さ、敵対心に高をくくっていたことになる。
  
  
  

女性は、離れたベンチに2人だけで座っていたツァリィとオケサのところに行くと、「大切なことを尋ねたいの」と断り、「ノラのところに戻って一緒に住みたい?」と尋ねる。オケサの返事は「分かんない」。ツァリィの返事は「行きたいな、もし、その後で、パコと一緒に戻れるなら」(1枚目の写真)。一旦ノラの家に行けば、パコに会える可能性はゼロなので、女性は町の外の誰もいない場所に匿うことを決意する。次のシーンでは、右手に食料、左手に水、肩に衣料その他を担いだ女性が、木陰に潜む3人の所に向かう姿が映される(2枚目の写真、矢印は隠れている3人、暑いので布を張って日除けにしている)。3枚目の写真は、持ってきれくれた物を喜んで見ている3人。女性は、「2・3日分よ。明日は来られないから」と話す。
  
  
  

恐らく翌日、パコたちが林の外で焚き火に使える木の枝を集めていると、ヘリの音が聞こえて来る(1枚目の写真)。ペコは離れた場所にいたオケサを呼び、3人で林の中に潜んでヘリをやり過す(2枚目の写真)。それにしても、「親権行使の侵害」の罪は「1年以下の拘禁刑又は15000ユーロ以下の罰金に処せられる可能性」だけなのに、ヘリまで動員して捜査するのはかなりオーバーアクションの気がする。次のシーンは3人の惨めな姿。激しい雨に見舞われ、日除けの下で身を寄せ合っている(3枚目の写真)。ジュヌヴィエーヴが持って来てくれたものも水浸しだ。4枚目の写真。天気は回復し、夕陽を前に3人が立っている。その時、パコは2人に、「何もかもなくした。友達と 空と 神の導き以外は〔On n'a plus rien. Juste les amis, le ciel et la providence.〕」と語る。まさに背水の陣。この言葉は、パコの並々ならぬ決意を象徴的に示している〔水をさすようだが、「空」ではなく、「母なる大地〔la terre mère〕」と言って欲しかった。実話ではそれが重要だったので〕
  
  
  
  

パコは、森の中での生き方を教える。枝にとまった小鳥(1枚目の写真、矢印は小鳥)、手に乗せても安全なサソリ(2枚目の写真)、そして蛇。ツァリィ:「毒蛇かな?」。オケサ:「普通の蛇だと思うな」。「どうして?」。「普通の蛇は鼻が丸くて、僕らみたいな目してるけど、毒蛇の目は猫みたいなんだ」(3枚目の写真、2人が蛇と一緒のシーンはない)。最後は、渓流で魚を手づかみで捕まえる(4枚目の写真)。その日の夕食になったことは勿論だ。
  
  
  
  

魚を焼くため、パコは、焚き火の際の枝の並べ方を2人に教える。「円形に立てていくんだ。インディアンのティピー〔布を張った円錐形の移動用住居〕みたいに。森の中に四角い物があるか? ないだろ? 何もかもが丸くて優雅なんだ。四角は白人が作ったんだ、街や車やTVや会社のように」(1枚目の写真)「だが、自然は共存し、ティピーのように丸いんだ」(2枚目の写真)。そして、円錐形に並べた木に火を点ける。すると、背後にインディアンの音楽が流れ、10年ほど前の思い出に戻る。そこには、インディアン式のティピーが6棟円形に並び、その中でヒッピー風の男女が作業をしている。パコは、ノラとの出会いについて話して聞かせる。グループの中に、幼いトマを連れたノラがいたこと。パコとノラは、「自然と自由の中で子供を育てる〔élever des enfants dans la nature et la liberté〕」という夢を共有していたこと。その数日後、2人は大木の下で、トマだけを付き添い、結婚したこと。そして、お互いにインディアンの名前を付けたこと。そして、永遠の愛と忠誠を誓ったことを(3枚目の写真)。
  
  
  

パコたち親子が、森から出てどこに行ったのは分からない。パコが家畜農場のようなところで働いていると、そこに1人の女性がやってきて新聞を見せる。そこには、一面に、「失踪: 悲しみにくれる母親」という見出しで、ノラと2人の子供の写真が掲載されていた(1枚目の写真)。パコの写真は、載っていないので事情を知らない他の作業員にバレることはないが、2人の子供を見られたら最後だ。パコは、家に戻ると、宿題をやるよう命じ、半時間で戻ると言ってどこかに出かける。その夜、パコは寝ている2人を起こす。「靴を履くんだ」。「何するの?」。「これから、山にある大きな家〔une grande maison〕に行く。もし警官に訊かれたら、何て言う」。オケサ:「僕の名前は、ジャン=フランソワ」。「お前は?」。ツァリィ:「ミシェル」。「家族の名は?」。2人:「ミラン」。「母さんは?」。「死んだ」。「何で?」。「頭の病気」(2枚目の写真)。「脳腫瘍だ」。そして、家の外の階段を降りる(3枚目の写真)。外に待っていたのは、友達の若い女性セリーヌ。パコは放浪生活が長かっただけあって、あちこちに仲間がいる。セリーヌは農場から馬を1頭連れ出し、専用のトラックに入れ、4人で出発する。まさに、逃亡生活だ。でも、車が動き出すと子供たちは歓声を上げる。結構楽しそうだ。セリーヌがパコにキスするので、2人が仲良しなことも分かる。
  
  
  

場面は急に変わる。草地の上をセリーヌとオケサが楽しそうに馬に乗っている。前の農場から連れてきた馬だ。次のシーンでは、柵に入れた馬の前で、セリーヌが、「馬は さすられるのが好きなのよ」と教えている。オケサが馬にエサを食べさせるシーンがそれに続く(1枚目の写真)。オケサが鶏を追い回して遊んでいるシーンの後は、ツァリィとオケサが並んで座り、料理に使う鶏の羽をむしりとっては、お互いの顔に投げ合っている(2枚目の写真)。2人の農場生活のシーンの最後は、チーズの作り方をセリーヌから教えてもらう場面(3枚目の写真)。夜になっても、セリーヌはツァリィたちに話を聞かせている。それを見ているパコの目は、明らかにセリーヌに惚れている。
  
  
  

日中は、男女が入り混じって1軒の家を建てている。みんなで共同で家を建て、そこに個々の家族が順番に入って行くシステムのようだ。その作業の間に、パコとセリーヌがキスしているのを見て、嫌な顔をした若い男が一人いた。次のシーンは夜。焚き火の周りに30人ほどが輪を作って座っている(1枚目の写真)。日中、キスを見て嫌な顔をした男が、パコの隣に座っている。「なんで、ガキを学校に行かせん?」。「彼らの学校はここだ。学習帳はすべて揃ってるから、授業が受けられる。レベルも決まってる」。そう言うと、ツァリィに「お前のCMは?」と訊く。「CM2」(2枚目の写真)〔小学校5年に相当、因みにフランスの小学校は5年まで〕。パコとセリーヌが体を寄せ合っているのが気に食わない男は、教養がないくせに、いちゃもんをつける。「それがどうした。学校は義務だぞ。それが法律だ」。「いいや、教育が義務なんだ」。「非合法だ」。「通信教育を受けてる」。男は、戦法を変えてくる。「あんた、どっかに行くんか、それとも、ここにいるんか?」。「いるよ、必要なだけ」。それを聞くと、今度は、セリーヌに「俺たち、いつ会ったっけ?」と訊く。「会ったのは…」。「1ヶ月前?」。「ううん、1週間よ」〔意識の違い。セリーヌの目に入らなかっただけ〕。その後、みんなで手を叩き、音楽が始まり、火の回りで踊って盛り上がる(3枚目の写真)。オケサも踊りに加わる。この台詞のないシーンが2分以上も続く〔無意味…〕
  
  
  

別な日、屋外のテーブルで10数人で食事をとっている。パコが、オケサに、「兄さんはどこだ?」と訊く。「部屋だよ」。「どうかしたのか?」。「病気」(1枚目の写真)。さっそく、セリーヌが見に行く。「ミシェル」と呼ぶので、本名の隠匿はセリーヌすら対象にしていることが分かる。セリーヌは、ベッドで横向きに寝ているツァリィの脇に座り、「どうしたの?」と尋ねる。「お腹が痛い」。セリーヌは、「見せて」と仰向けにし、「マッサージしてあげるわ」と言い、胃を押えて、「ここが痛いの?」と訊く。ツァリィは何も言わず、悲しそうな顔をしたままだ。「何が悲しいの?」。「トマのことを思い出して」。「トマって誰?」。「兄さん」。「お兄さんがいたの?」。「うん」。「どこにいるの?」。「ノラと一緒」(2枚目の写真)。「ノラって誰?」。まずいことを言ったと思いツァリィは黙っている〔脳腫瘍で死んだことにしてある〕。「ノラって誰? お母さんなの?」。何も言わない。「私を見て。見なさい」「ノラは、お母さんなの? ママなの? ママは死んでないの?」。セリーヌをじっと見たまま、何も言えない。「ママは、死んでないのね?」。ツァリィは、返事をする代わりに、「セリーヌ、愛してる」と言い、それが「イエス」だと感じたセリーヌは、涙ぐみながらツァリィを強く抱き締める(3枚目の写真)。セリーヌは、これでパコを失った。妻のいる男性を愛せないからだ。
  
  
  

セリーヌが出て行った後、ツァリィは忘れていたノラのことを思い浮かべる(1枚目の写真)。映像は、ノラとツァリィとオケサの楽しかった一瞬を映し出す(2・3枚目の写真)。
  
  
  

ある日、2人が窓から見ていると(1枚目の写真)、男が父に会いに来た。「あんたの父さんから手紙をことづかった。ノルマンディーの小屋を売ったお金が入ってる。裁判所からの手紙もある」(2枚目の写真、矢印)。それだけ言うと、男はすぐに立ち去った。この封筒の中身〔お金と手紙以外の〕については、オケサが大きくなってからのシーンで分かる〔後述〕。判決文を読んだパコは、さっそくノラに手紙を書き始める(3枚目の写真)。
  
  
  

ツァリィとオケサの少年時代最後のシーン。映像のバックには、パコの手紙の内容が独白の形で流れる。「ノラ。私に禁固2年の判決が下り、すべての親権が剥奪されたことを知った。君の奮闘には敬意を表する。望んだ通りになった訳だ。私の完全な敗北だ。しかし、事態は何も変わらないと悟るべきだ。子供たちは、君のものでも 私のものでもない。素晴らしき母なる大地のものだ。独占したり、操ったりする対象ではない。彼らは、君に手紙を書くことも電話をすることも自由だし、望むなら会ってもいい。すべての決定権は私ではなく彼らにある。不幸にして、レ・ザドレでの彼らの生活は最悪で、そのため君のことを恨んでいる。だから、君と暮らすことを望んでいない。数時間たりともだ。自由に出て行けないと知っているから。私は、彼らを責められない。過去がそれを証明している。再び姿を見せる条件は、私の対する告訴を取り下げ、親権の剥奪を元に戻し、レ・ザドレでの暮らしをあきらめること。さもなければ、子供たちが成人になるまで隠れ続ける。パコ」。その際に映される2人の映像は、①山羊飼いをする場面(1枚目の写真)、②罠にかかった兎をツァリィが棒で叩き殺し(2枚目の写真、矢印は棒)、その後、2人で皮を剥ぐ場面の2つ。最後に、手紙の一番下のパコの署名の下に、2人が自筆で署名する(3枚目の写真)。
  
  
  

ここから、ツァリィとオケサが大人の俳優に代わる。最初のシーンはオケサの散髪。ツァリィは長髪のままだが、オケサは何故か短くする〔理由不明〕。その後、2人で入った店で、ツァリィは素敵な女性クララを見つけ、そのまま一緒に2人で店を出て彼女の家に向かう(1枚目の写真、右がツァリィ)。この時、ツァリィは「シルヴァン」と名乗り、弟の名を訊かれて「テオ」と答える。ミシェルと、ジャン=フランソワからまた名を変えたことが分かる。2人は、クララの家の門の前でキスして別れるが、門から家までかなりの距離のある大きな家だ。次のシーンでは、家で昼食をとっているパコと2人の息子。パコは、オケサが髪を切ったことに腹を立てる。この映画、台詞がくどいほど長いことが特徴だが、ここでも、パコがオケサを責め立てる。如何にひどいかという意味で紹介すると、「女の子を喜ばすために、そんなことしたのか? 何が望みだ? ここの暮らしが嫌になったから髪を切ったのか? 消費社会に入りたいか? そこら辺のばか者と一緒になりたいのか? 時代に合わせたいのか?」(2枚目の写真、矢印はオケサ)。これだけ文句を言われれば、誰でも反論したくなる。しかし、オケサは「おとなしい青年」に育ったので、黙っている。この後、波乱が起きるのは、パコがツァリィの買った新しい靴の代金150ユーロ〔約2万円〕の出どころに関して。ツァリィは、「俺の農園で稼いだ金」と答える〔大農園の人々は、農園で育てた家畜や乳製品を売って暮らしている〕。ツァリィは、自分の農園で育てたものを売ったので自分の金だと思っている。しかし、パコは、「それはすべて共有財産だ。我々はコミュニティに暮らしている」と、ツァリィの行為を窃盗だと責める。ツァリィは、オケサと違い、「すぐにカッとする青年」になっていたので、「この下らん家にはもうガマンできん〔J'en peux plus de cette maison de merde〕!」と怒鳴る。
  
  

コミュニティ内で新しい家の建設を大勢が手作業で行っている。その時、1人の男が、オケサに「俺の紙切れ知らねぇか?」と声をかける。「今朝、お前が部屋に入ってったって、ドムが言ってる。俺の許可証、盗ったろ」。「何 言ってる」。この後は、盗った、盗らないの言い争い。オケサの性分から見て盗んだとは思えないので、男の一方的な思い込みだ。それが、その場にいた全員を巻き込んだ争いに発展する。オケサを擁護するのはパコ1人〔ツァリィは不在〕。多勢に無勢で全員を敵に回す形となる(1枚目の写真)。統制の取れていない、無法状態の集団は怖い。何の証拠もないのに、一方的に犯人にさせられ、オケサは自分の家に逃げ込む。ドアの外では、聞くに耐えない罵声が浴びせられる。夕方になり、3人が揃って家の中で今後の対策を論じている(2枚目の写真)。ツァリィは、自分が働いている建設現場の友人ディミトリの母が、家を安く貸してくれるから、そこに移ろうと提案する。しかし、パコには、今住んでいる家を動く積りは一切ない。オケサが、「今朝、起きたこと見たろ? このままたら、いつか殺される」と不安を訴える。パコは、体勢を立て直し、劣勢を挽回して戦おうと熱弁をふるう。ツァリィは、「チンピラとの争いなんかに興味はない。俺たちは出て行く。残りたきゃ好きにしろ」と宣言する。パコは、最後に、「家の件は分かった。だが、俺も一緒に行く」と言う。
  
  

新しい家に移った3人。同じような粗い石積みの家なので「別の家」だと分かりにくいが、こちらは窓が多くて開放的だ。それに、見晴らしの良い場所に建っている。ツァリィとクララの仲はより親密になり、新しい家でのセックスシーンもある。また、以前と似たような集団でのパーティもあるが、こちらは、ディミトリやツァリィの仲間のティーンばかりなので、変なコミュニティの暗さはない。ツァリィとオケサの顔は、とても明るい。しかし、そこに、パコが鶏を籠に入れて運んでくる。前の家で飼っていたものだろう。ツァリィは、「何のつもりだ? 『動物はなし』 と言ったろ」と抗議するが、パコは、もっと持って来るつもりらしく、「手伝え」と言い、若者が珍しそうに鶏に触ろうとすると「触るな」と怒る。夜になり、パーティは音楽が入って熱狂的に踊るが、そんな中、パコは1人で黙々と動物を運び入れ、終わると、家に入って一人で寝る。これでは、「お荷物」以外の何者でもない。クララは、ツァリィと2人きりになると、「あんたのお父さんて変わってる〔bizarre〕。あんたも変わってる。いつも、何かを隠してるみたい」と言い出す。「何も隠してない」。「この前、警官に会った時、なぜ後ろを向いたの? 怖がってたみたいだった」。「怖くなんかない」。「あんたが嘘ついてるように感じるの」。「嘘なんかつかない。約束する」。「いつか、嘘ついてると分かったら、別れるわよ」。そして、次のシーン。ツァリィとクララ、オケサにもう1人加わって4人でテーブルについて朝食をとっている。そこに、パコの飼っている鶏がぶつかってきて、ツァリィの椀にぶつかり中味が飛び散る(1枚目の写真)。ツァリィは鶏を捕まえると、パコに持って行くと、約束を破って動物を連れて来たことを責める。しかし、パコは「馬耳東風」。怒ったツァリィは、「あんたはサイテーだ。なんでノラが出て行ったか、これで分かった!」と怒鳴る。この「ノラ」の話は、クララが今まで聞かされていたものと違っていたのだろう。ツァリィが「嘘を付いていた」ことを知ったクララは、席を立って出て行く。ツァリィは後を追うが無視され、門に逃げ込んだクララは、ツァリィがいくら呼んでも出てこなかった(2枚目の写真)。
  
  

ツァリィは、失恋に絶望して部屋を抜け出す。友人の車に乗せてもらって捜しに行ったオケサは、橋から飛び降りようとしているツァリィを見つけ、抱き止める。河原に降りた2人(1枚目の写真)。オケサは、「なぜこんなことを?」と詰問する。「おまわりのトコに行ってきた〔Je suis allé chez les flics〕」。「suis allé」は過去形、つまり、パコのことを話してしまったのだ。「全部、変えたかった。こんなサイテーの生き方、もう沢山だ。囚人みたいで何もできん」。「俺たちが選んだんじゃないか」。「俺たちは、7つと8つだったんだぞ! そんな子供に何が選べるってんだ!」。オケサは、兄を後ろから抱き(3枚目の写真)、「なあ、戻ろう」と言うが、「戻らん。もし戻れば、俺は死ぬ」と答える。以後、ツァリィは、二度と「父のいる家」には戻らなかった。
  
  

1人で家に戻ったオケサは、パコに「ここから出て行った方がいい」と言い〔兄が警察に行ったことは伏せている〕、コルシカに友達の伯父がいて、そこなら家畜を飼って暮らしていけると話す。そして、ノラに会いにいくために取ってあったお金があれば、「最初の1ヶ月は、それでやっていけるんじゃないかな」と話す。パコはお金の隠し場所を教える。オケサが納屋に行ってみると、そこに隠してあったのは、かつて、オケサが子供だった頃に男が持ってきた封筒だった。その封筒の中には、新聞の切り抜きが一杯入っていた。最初の記事の見出しは、「母の闘い」(1枚目の写真)、2つ目は、「何年経っても行方が知れず」だった。それを見て考え込むオケサ。オケサは母を許したのだろうか? 次のシーンで、オケサはツァリィと一緒に葡萄畑で消毒をしている。そして、その後、1軒の石造りの家の横で、10人ほどの仲間と焚き火を囲んいる。そこには、ツァリィもいてギターを弾いている。家の形が、それまでいた家と非常によく似ているので誤解しやすいが、家の横に大木やテーブルがなく、背景の景色も違うので、今までとは別の家だと分かる。その頃、パコは一人寂しく室内で食事をしていた。しかし、それも、パコの頑な態度が招いたことで、自業自得だといえる。食事が終わり、パコが外で動物に餌をやっていると、大勢の警官が近づいてくる。ツァリィの通報を受けて、逃亡の恐れはないので、万全の構えで逮捕に来たのだ。連行されるパコ(2枚目の写真、矢印はパコ)。それにしても、警官の人数が多過ぎると思うのだが…
  
  

ツァリィとオケサがパトカーで警察署に連れて来られる。父に会わせてくれと頼んでも、断られる。そして、母が父に対して告訴し、場合によっては5年の懲役刑になると聞かされる。これを訊き、ツァリィはカッとなる。そして、父に会わせろ要求するが、母と兄がずっと待っているから、そちから会うのが先決だと言われる。これに対し、ツァリィは「そんな話 聞いてない」と食ってかかる。そして、「俺たちダマされた」「嘘ついたな」と非難。母と会うのが、父に会わせる条件だと言われると、「会いたくない」と言って廊下に出て行き、警官と揉み合いになる。冷静なオケサは、取り押さえられた兄に、「母さんに会うべきだ。そして、父さんに対する告訴を取り下げさせるんだ。それ以外に途はない」と諭すように頼む。そして、2人は母と面会する。オケサは母と言葉を交わすが、ツァリィは、母から 「あたしのこと考えた〔Tu pensais à moi〕?」と訊かれ、「一度も〔Non, jamais〕」と答える。最初から戦闘モードだ。オケサは、「父さんは、投獄されるようなことはしてない」と本題に入る。「告訴を取り下げて欲しいんだ」。母は、「そんなことを要求する権利はないわ」と拒否。ツァリィは、すかさず、「父さんが刑務所に行ったら、俺たちはあんたのトコには戻らない」と割り込む。「強迫ね、何て不愉快なの!」。「告訴を取り下げろよ!」。「なぜ? あたしの苦悩はどうなるの?!」。「裁判になったら、俺たちは父さんの側につく!」(1枚目の写真)「不愉快なことも言ってやる! そうして欲しいか?」。「そんなことない」。「なら、告訴を取り下げろ!」。「なぜそんなこと頼むの! 変じゃない! おかしいわ! あんたは犠牲者なのよ!」。ツァリィは、「こいつ、狂ってる!」と怒鳴って立ち上がる。「罰せられるべきよ!」。「なんでそんなに執着する?!」。「あたしに何をしたか知ってるの?! 赤ちゃんを盗んだのよ! そして、あたしの生活を破壊した!」。警官が2人を引き離す。「告訴を取り下げろ! あいつは気違いだ! 完全に狂ってる!」。母は、気を取り直して、「3日前、司祭に会いに行った。闘いをあきらめて、穏やかな心を与えて下さいと心からお願いした。その夜、あたしは、あんたたちの父さんを何とか許そうとした。それが1つ目の奇跡。3日後、あんたたちが見つかったと知らされた。それが2つ目の奇跡。今夜が3つ目。ほんとの奇跡。2人があたしの目の前にいる。今 大事なことはそれだけ。他のことはどうでもいい。あんたたちが望むなら、告訴は取り下げるわ。それが望みなのね?」。ツァリィ:「そう、それが望みだ」。オケサは慎重だ。「本気なの? ほんとに取り下げるの?」。「明日、裁判官に会いに行く。彼が何と言うか、ちゃんと教えるわ。また明日会いましょ」(2枚目の写真)。オケサ:「じゃあ、明日。それから、明後日や、その後も」。そして、3人は抱き合う。よく分からないのは、ツァリィは父のお陰で失恋し、怒って自殺まで考え、家を飛び出したくせに、なぜこんなに強い拒否反応に出て、父を擁護しようとしたのか? 監督は、この映画の6割は真実、4割はフィクションと言っている。子供時代の挿話の多くは、他の記事を読んでも事実に近いので、大人になったツァリィの失恋と自殺の部分はフィクションなのかもしれない。少なくとも、警察に垂れ込んだのは事実ではない。ほとんどの記事に逮捕のきっかけは書かれていないが、唯一、「匿名の証言〔témoignage anonyme〕」と書かれたものがあった。また、母との再会の場面で、何度も「告訴を取り下げる〔retire sa plainte〕」という言葉が出てくるが、これは、実話で、兄弟が多用した言葉でもある。そのことは、実話の2人が発見された2009年に発行されたLibération紙に、「2人の行方不明者は、彼らの父が刑務所に入るのは母のせいだと考え、告訴を取り下げるよう頼んだ〔lui demandaient surtout de retirer sa plainte〕」と書かれていることから、事実に即した会話だったことが分かる。
  
  

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